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市立船橋の躍進
平成5年(1993年)春、市立船橋が5年ぶりにセンバツに出場した。監督・部長は昭和55年(1980年)に甲子園に出た時の習志野のエース小林と加瀬。船橋市が健康都市宣言をし、市立船橋に体育科が出来て以来、各部ともメキメキ力をつけている。
市立船橋は初戦を突破し甲子園初勝利。3回戦の国士舘戦は序盤に市立船橋の2年生投手・小笠原が打ち込まれ大量点を奪われたものの、2番手の中山投手が好投、7回に3点、9回には4点を返し同点に追いつき、延長戦へ突入した。延長14回、国士舘・伊藤にサヨナラ打を打たれ敗退したが、打の巧みさでは市立船橋が上回っていた。
夏の大会にも初出場した市立船橋は初戦の三本松戦に辛勝し、3回戦では宇和島東の平井投手を打ち崩した強打・桐生第一と対戦した。試合は打撃戦となり一時逆転されたが、1番・藤井から佐藤、須永、小川、長尾、石神、中山とつながるキレ目ない打線が活躍、小笠原投手もこれに応え、市立船橋が打ち勝った。準々決勝の京都西戦では、今度は中山が好投し、堅守、足技も冴え快勝でベスト4進出。
準決勝は育英の「バントを失敗してもまたバンド」というしつこい攻撃に敗れたが、前年の拓大紅陵の準優勝に続きベスト4進出という成績で千葉の復活を印象づけた。しかもエース小笠原は2年生、翌年に期待を残した。
千葉のジンクス
夏の千葉大会にはジンクスがあった。昭和56年(1981年)に銚子西が甲子園に出場して以来、1年おきに私立校と公立校が優勝しているのだ。東海大浦安(私)、印旛(公)、拓大紅陵(私)、銚子商(公)、拓大紅陵(私)、習志野(公)、拓大紅陵(私)、成東(公)、成田(私)、我孫子(公)、拓大紅陵(私)、市立船橋(公)と続いている。すると平成6年(1994年)は私立の年。市立船橋は甲子園に行けないのだろうか。
成田、2年連続あと一歩で涙
平成6年(1994年)夏の千葉大会。前年、決勝で市立船橋に完封負けし悔し涙を流した成田が今年こそと雪辱を期した。甲子園で活躍したメンバーが多く残る優勝候補・市立船橋。成田は準決勝でその因縁の相手と対戦した。この試合、市立船橋は小笠原投手の調子がいまひとつで序盤は成田が3点のリード。市立船橋は5回に一度は逆転したものの、成田は6回に同点、8回に再逆転し、エース一鍬田が市立船橋の反撃を抑え、見事前年の雪辱を晴らした。これで成田は2年連続の決勝進出。「今年こそ」の期待は最高潮に達し、最強の市立船橋を突破し、甲子園への視界は良好であった。
決勝は市立船橋を倒した成田と強打の志学館。どちらも私立でこの年もジンクスは守られたことになる。試合は序盤成田が6-1と大きくリードしたが、初の決勝進出で波に乗る志学館がその後1点差まで詰め寄り、とうとう9回に逆転。しかし粘りが身上の成田も土壇場に同点に追いつき執念を見せる。白熱の決勝戦は稀に見る大接戦となった。延長10回、志学館が久保山のタイムリーで1点を入れ8-7で甲子園初出場を決めた。成田はまさかの敗退で2年連続準優勝という悔しい結果に終わった。
志学館、緊張の甲子園
甲子園初出場の志学館は近江と対戦。極度の緊張からか調子が出ず、エース池田が序盤に点を取られてしまい、一方的な展開になりそうな雰囲気すらあったものの、沢木、沢井と必死のリレーで相手の攻撃を何とかかわし接戦に持ち込む。甲子園の雰囲気にも慣れ、普段通りの力が出せるようになった終盤8回、硬さのとれた打線で同点に追いつき、千葉大会の強打ぶりの片鱗を披露。遅蒔きながら志学館の反撃態勢が整った。ところがその裏、信じられない守備のミスから1点を奪われ、これが決勝点となり志学館は初戦で敗退した。千葉県勢の夏の甲子園初戦敗退は9年ぶりのことであった。
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