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雪辱ならず
昭和49年(1974年)のセンバツ。3季連続出場の銚子商はこの年も優勝候補の筆頭。初戦の相手はなんと夏に続き再び岡山東商。夏に土屋と投げ合った土居投手との再戦である。この試合も夏の再現かのように再び両者の投手戦となったが、夏に続きまたも銚子商が1-0で勝利した。
2回戦では日大三を破りベスト8へ進出、準々決勝であの報徳学園と対戦となる。今度は銚子商が圧勝するのではと予想された。しかし雪辱を期す選手たちの勢いが空回りし、善戦及ばず1-2で再び敗れ、借りは返せなかった。結局、その報徳学園が優勝し、悔しいセンバツとなった。
最後の夏
昭和49年(1974年)夏。土屋にとって最後の夏である。
ノーシードの千葉大会では4回戦で2年生好投手・小川を擁する習志野と激突、投手戦の末、2-0で下した。
準決勝では、あの根本と鈴木孝政の激闘以来3年連続の対戦となる因縁の成東戦。試合は延長の熱戦となり、前嶋のサヨナラ打で勝利を収めた。決勝では市立銚子を倒し2年連続、4季連続の甲子園出場を決めた。
悲願達成
しかし、土屋投手は千葉大会の連投がたたりヒジを故障、電気針を打つ接骨医を同伴しなければならないほどとなってしまった。本格派の土屋の最後の甲子園は勝ち進むたびに打たせてとる技巧派ぶりも併せて見せ、また点差が開くと変化球を多く混ぜる投球となっていった。
この変化についていけなかったのか、土屋は甲子園で信じられないほどの快投を披露した。初戦のPL学園戦では押し出しで1失点したものの、その後は1点も取られずに勝ち上がった。それも初戦で被安打5の1失点以後は、被安打も3、3、2、3という圧倒的な安定感ぶりに加え、鉄壁の守備もあり、銚子商は木樽以来10年ぶりの決勝進出を決めた。
打線も好調で、長打あり単打あり、確実なバントや機動力も絡める大技・小技を備えた破壊力満点の攻撃ぶり。投打とも優勝候補にふさわしい圧倒的な力を発揮しての決勝進出。2年生・篠塚は2試合連続本塁打を放っており、池永、宮内も1本打っている。
決勝戦。試合は防府商のエース井神との息詰まる投手戦で0-0のまま6回裏へ。何とか先取点をと願うナインの気持ちが通じたか、2死三塁から初めて3番に入っていた前嶋がカーブをセンター前へ運び1点先制。これを境に黒潮打線が爆発。続く篠塚、太田、筒井、池永が続き、打者一巡の猛攻で一挙6点。相手のわずかな隙を突く好走塁もあった。
9回、防府商の4番のゴロをサード篠塚がさばくと5万の歓声が銀傘にこだました。7-0。土屋はマウンドを駆け降り捕手・太田に飛びつき、駆け寄るナインの輪が出来た。ついに悲願の全国制覇達成である。千葉県勢は習志野以来7年ぶりの全国制覇。全試合を大差で下し、歴代最強と言われた圧倒的な力を発揮しての優勝だった。現在に至っても歴代優勝校でもベスト3には入る強さと言われ、歴代最強はこの年の銚子商だというファンも多い。
千葉に帰郷し、国鉄千葉駅から銚子までの大パレードが行われ、沿道にはファンが駆け付け祝福した。あの悪夢の16-0から1年4か月後の栄冠であった。
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