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無欲の勝利、銚子商センバツ初出場
穴沢が活躍した昭和27年(1952年)、新チームによる秋の大会では、あれよあれよという間に銚子(現銚子商)が勝ち進み、新鋭・市川、強豪・成田を倒し、決勝進出。決勝では優勝候補の千葉商と対戦し、9回二死までリードされながらホームスチールで同点に追いつき、延長の末、初優勝を遂げた。
関東の8校を集め神宮球場で行われた秋の関東大会でも快進撃は続き、宇都宮工を序盤の猛攻で破った後、水戸一には土壇場で同点に追いつき、延長11回サヨナラで決勝に進出。決勝の早稲田実には日没再試合の熱戦の末惜敗するも、東京から1、関東から1の春のセンバツ出場枠から銚子が選ばれ、千葉県勢の春のセンバツ初出場となった。それまでは春のセンバツの存在すらあまり認知されておらず、甲子園を知らずに戦った銚子ナインの無欲の勝利の賜物だった。
銚子は昭和28年(1953年)4月1日から校名を旧来の銚子商に戻し、同日の開会式も銚子商の名で行進した。銚子商は甲子園でも土佐を破り1勝を挙げている。
長嶋茂雄登場
昭和26年(1951年)7月16日。夏の千葉大会2日目、佐倉一(現佐倉)が優勝候補No.1の安房一(現安房)と対戦した。佐倉一の7番は1年生の長嶋茂雄。公式戦初出場のこの試合は2打数無安打2四球に終わった。守備位置はショートだった。
昭和27年(1952年)、2年生になり4番に座った長嶋は、初戦の旭農戦で3塁打を含む5打数3安打の活躍。2回戦の市原一戦では2塁打を含む4打数2安打で、同じく2年生の奈良投手が被安打2と好投しての快勝。3回戦では優勝候補の筆頭・船橋と対戦。船橋の本塁打攻勢の前に手島、奈良両投手が打ち込まれチームは大敗するが、長嶋は2塁打を含む5打数2安打で気を吐いた。
最終学年となった昭和28年(1953年)、春の千葉県選抜大会は、前年夏の成田、春の銚子商の甲子園での活躍を受け、出場枠を4つ増やし12校で開催された。5月2日、開会式直後の試合で佐倉一と安房一が対戦。主将になった長嶋は4番でショート。佐倉一は初回に内野陣が乱れ4失点。打線も振わずわずか4安打で敗れた。この試合、長嶋は4打数1安打。
最後の夏、快進撃
いよいよ最後の夏となる昭和28年(1953年)夏。この年は春のセンバツ出場の銚子商と、前年に甲子園ベスト4で甲子園経験者が6人も残る成田が優勝候補だった。
千葉大会開幕の前、成田は佐倉一と練習試合をしている。この試合はショートからサードにコンバートされたばかりの長嶋茂雄の活躍などで佐倉一が勝利を収めた。戦後、成田に一度も勝っていなかった佐倉一だけに大きな自信となり、一方の成田は、まさか近隣の学校に負けるとはとショックが大きかったようだ。
本番の千葉大会にもこの影響が表われ、成田は調子を回復できぬまま初戦で初陣の千葉商大付に1-2で敗れ、新聞の全国版の見出しにもなった。
千葉県でも最初に野球を始めた学校である佐倉一は、戦前には千葉を制したことこともあったのだが甲子園経験はない。この年はいい選手が集まっており、特に長嶋は、反応の鈍かったショートから動物的カンを生かせるサードに移ってから力を発揮した。
初戦の千葉工戦は先行されるも5回に板倉の2塁打やスクイズで逆転、6回にも集中打で快勝。長嶋は4打数1安打。
3回戦は市原一と対戦。初回、市原一は無死1,2塁のチャンスに3番・宮田が3塁線へ火を吹くような当たり。しかしこれを長嶋がダッシュ良く、ベース後方で体の正面で処理し、3塁ベースを踏み1塁へ送球、併殺でピンチをしのいだ(宮田は千葉県勢甲子園初出場時の千葉師範の主将・宮田の長男)。試合は投手戦となり、0-0で迎えた8回、佐倉一の一死1,2塁の好機にショートのトンネルで1点を挙げた佐倉一が辛勝した。エース奈良は5四球を与えたもののノーヒットノーランを達成。
準々決勝の東葛飾戦では投打が噛み合い7回コールドの快勝。奈良は被安打2、長嶋は2塁打を含む3打数2安打だった。
準決勝では奈良投手が打たれ銚子商に大敗したが、この試合でも長嶋は4打数で2塁打1本。ベスト4の佐倉一は南関東大会へと駒を進めた。
この年、千葉からは銚子商と佐倉一の他、千葉商と千葉一が南関東大会にコマを進めている。
伝説のホームラン
大宮球場で行われた南関東大会は、雨で延びていた千葉大会の後すぐに開催され、千葉勢には苛酷な日程となってしまった。
佐倉一は初戦で豪球投手・福島を擁する熊谷と対戦。熊谷は初回、奈良の立ち上がりを攻め、4安打を集中し3点を先行、打力のない佐倉一には厳しい展開となる。
3-0のまま迎えた6回、長嶋は、後に伝説となるバックスクリーンへの特大ホームランを放つ。動揺した福島は乱れを見せ、一死満塁と攻めるがあと1本が出ず無得点。逆に7回にダメ押し点を奪われ、4-1で熊谷が勝利を収めた。佐倉一はケガ人がいてベストメンバーを組めなかった上、チャンスでのスクイズ失敗、長嶋のホームランの後、5番・牛島の頭への死球等、不運が重なった。当時はヘルメットもなかったため、意識不明となり病院へ直行。この試合の佐倉一の死球による退場者は2人目だった。長嶋は高校3年間の公式戦で無安打に終わったのは1年時のデビュー戦のみだった。
佐倉一、そして長嶋が全国のファンの前に姿を表わすことはなかったが、長嶋はこの強烈な本塁打で一気に名を上げ複数のプロ野球球団からも誘いを受けたが、砂押監督を慕い立教大へ進学。6大学のヒーローからミスター・ジャイアンツへと進む後の活躍はここで紹介するまでもない。
雨で10日近くも延びた千葉大会から疲れを取る暇もなく大宮へ乗り込んだ影響は銚子商にも出だ。エース原に疲れが残っている上に、試合前日に食中毒を起こし最悪のコンディションのまま深谷商の前にあっさり敗退。銚子商の夏初出場は簡単についえた。
この年、甲子園への切符を手にしたのは戦後2度目の甲子園となった千葉一だったが、甲子園では活躍出来なかった。
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