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| 1987年(S62) 東海大浦安 |
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昭和61年秋の千葉県大会。いつも応援している東海大浦安は、その年の春夏の甲子園で優勝候補といわれた拓大紅陵と対戦し、もの凄い試合の末、サヨナラで拓大紅陵の4季連続優勝を阻みました。 関東大会での東海大浦安も、まるで映画のようにドラマチックでした。初戦は茨城大会優勝の竜ヶ崎一高との試合。詳しくは覚えていませんが、土壇場で同点に追いついて延長戦に突入し、最後はサヨナラ勝ちを収めたと思います。 私が直接観戦したのは拓大紅陵戦と竜ヶ崎一高戦だけですが、両方とも延長戦となる熱戦で、心から感動しました。 仕事の予定を調整して休みを取ろうとあれこれ考えていた頃、突然の悲報でした。会社で朝刊を見て知りました。信じられない気持ちとショックからか、その日のその後の記憶はありません。 甲子園には、補欠校の常総学院が初出場を果たす形で行きました。東海大浦安は甲子園に行けないばかりか、対外試合も禁止になってしまいました。当然、春の千葉大会にもその姿はありません。大きな穴が空いたような空虚な大会で、私はまともに1試合も観戦しませんでした。仕事もうまくいかないことが続いたりして、私の落ち込みは激しくなりました。 4月下旬、こっそりと東海大浦安に行ってみました。練習をしていました。 夏の千葉県大会。春の大会に出ていない東海大浦安はノーシードです。甲子園までは8試合もあります。その上、組み合わせ抽選は最悪でした。 初戦はいきなり強豪の横芝敬愛高校。4点を先行され予想通りの苦戦。次の茂原工業との試合も3点を先行される苦しい試合となりましたが延長の末、サヨナラで何とか勝利を収めました。胸がつまりそうです。 これで波に乗った東海大浦安は順当に勝ち進み、準々決勝は延長となる熱戦でしたが、見事に決勝戦に進出しました。八千代松陰の加藤投手の他、村山投手(法典)、石毛投手(市立銚子)といった好投手を打ち崩しての進出です。 決勝戦は伝統の習志野高校が相手です。今の東海大浦安打線に、正面からぶつかって抑えるのは無理だと感じましたが、変則的な下手投げ投手に少し嫌な予感がしました。でも秋に対戦した時は大勝しているし、大丈夫だと言い聞かせていました。 甲子園という想いは届きませんでしたけど、生きる力をもらいました。この年の東海大浦安は今でも最高のチームです。 |
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