房総鉄道史
日本で初めて鉄道が走ったのは明治5年(1872年)5月7日、品川と横浜間で仮営業した。所要時間は35分。それまでは品川から東海道を歩いて横浜まで、休憩等も含め8時間はかかっていたので、大幅な短縮され、人々の活動範囲が大きな広がりを見せた。9月12日には明治天皇が鉄道開通式に出席、新橋-横浜間を往復、この日が鉄道の日となっている(10月14日。9月12日は旧暦)。当時の新橋駅は旧汐留貨物駅、横浜駅は現在の桜木町駅である。
なお、鉄道創業の頃は色々な用語があり、例えば、乗車券は手形、駅は鉄道館やステン所、車掌は車長、SL列車を陸蒸気(おかじょうき)という具合。
莫大な建設費を要する鉄道は「金を失う道」と呼ばれ、建設に大金をつぎ込み、資産を傾けたお大尽も多いが、やがて会社の実権は中央の資本家に握られてしまうパターンが多く見られた。
鉄道は、政治、経済、国防、文化等に寄与するところが大きいとし、明治政府は全国に官営鉄道による鉄道網の計画をたてるも、財政難等でなかなか進展しなかった。このため政府は民間の建設を認めることにし、官営と民間による鉄道建設が進められることとなる。
私設では、明治16年(1883年)7月28日に上野-熊谷間を日本鉄道が完成させ、官設も明治22年(1889年)に7月1日に東海道線の全線が開通した。明治24年には日本鉄道も上野-青森間が開通している。
東京から西、北方面への鉄道がどんどん開通していく中、この頃の東京から千葉方面への交通と言えば、汽船が一日1回だけ、馬車は一日12回あったが、あまりの悪路に乗り心地は最低で、途中で降りてしまう者が多い有り様であった。成田へは徒歩で一泊二日。銚子へは蒸気船・利根丸で関宿を経由していた。
明治5年に東京、神奈川で汽笛が響いて以来、16年には埼玉、群馬、18年に栃木、茨城に鉄道が走っていた。房総は袋小路的な地形であり、メジャーな路線から外れ、更に利根川、江戸川と大きな川があるため、全国的にも大きく遅れることとなってしまった。明治20年になり、ようやく千葉県にも鉄道建設の動きが現れ始める。
明治23年(1890年)5月、上野公園での第3回内国勧業博覧会の際、アメリカから輸入した2両の電車が走り、鉄道の歴史は電化への道を歩む。明治天皇も試乗し、お供の人が「恐ろしき神を捕らへて車ひく 馬にも代ふる世となりにけり」という和歌を詠んでいる。馬ではなく雷神が車両を走らせることに大変驚いた様子が表われている。
最後に戦後の燃料不足の時代の千葉からの所要時間を紹介しておく。千葉から30分圏は本八幡、五井、誉田、佐倉、1時間圏は秋葉原、樽葉(現袖ヶ浦)、本納、八街、成田、求名、小湊鉄道の養老川(現上総山田)、2時間圏で我孫子、上総湊、大原、旭町(現旭)、香取、小櫃、小湊鉄道の月崎、最も遠い九重-安房天津までは3時間では無理であった。最も速度の遅い時期である。 |
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白土貞夫氏所蔵『ちばの鉄道一世紀』より
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| かつて房総の大地を疾走していたが、役割を終え、時代の波に消えていた鉄道の紹介と、現在の跡地を紹介しています。 |
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このページは『ちばの鉄道一世紀』(白土貞夫著)より著者の了解を得て一部の写真を転載させて頂いております
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