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むかし昔、足利義政という将軍の跡目争いから応仁の乱が起こりました。
黒部内大臣藤原直房はこの乱をおさめようとしましたが、逆に殺されてしまい、
一族は離ればなれになってしまいました。
直房の子の健丸は、増田小太郎秀郷に守られて東国へ落ち延びて来ました。
太日川を舟で下って行きましたが、国府台付近で盗賊にあって、父の大事な形見を入れてある包みを盗まれてしまいました。
秀郷は健丸を岸に上げるとその盗賊を追いかけました。
ところが、その隙に1人の男が現れて、健丸をそそのかして連れて行ってしまいました。
この男は最近、この付近で有名な、行徳浜の源太という人さらいでした。
源太は、健丸を笹川の人買いの大親分島左衛門に売りました。
「ふーむ、これはなかなかの上物だわい。
京の都の公家の娘にちがいねえ。大事にしてどこかの屋敷に高く売りつけてやろうぞ」
島左衛門は、美少年の健丸をすっかり気に入り、女の子と間違えてしまいました。
この人買いの家には島之助という息子がいました。
父親と違い、心の優しい若者でした。
夜になると島之助は酒を用意して見張りの子分たちの所に行きました。
「やあ、夜遅くまで御苦労さんよ。寒いから体でもあっためろ」
「こらまた、ありがてえことでごぜえます」
喜んだ見張りの人たちは、酒盛りを始めました。
子分達がいい気持ちで酔っぱらっているのを見はかると、島之助は健丸をこっそりと逃がしてやりました。
健丸は須賀山に向かって山道を走って逃げましたが、疲れ果てて橋のたもとの小屋に倒れこんで眠ってしまいました。
績む川の源には熊野神社が建っています。
この社の神主の玄幡様が明け方に夢を見ました。
「玄幡よ、橋のたもとの小屋を見よ」
と、権現様のお告げの夢でした。
早速行ってみると、本当に美しい子が倒れていました。
家に連れ戻って手厚く介抱しましたが、健丸はとうとう息を引きとってしまいました。
健丸を哀れに思った里人たちは、見晴らしの良い望海が峰に亡きがらを葬って、花を供えました。
それ以来この場所を「花立て塚」と呼ぶようになりました。
「績む川」もいつの間に「黒部川」と呼ばれるようになったということです。
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