|
現在ではキレイな道が通っていますが、その昔、勝浦の大沢あたりは切り立った崖の上に曲がりくねった細い道が通っており、九十九里から房州にかけて一番の難所でした。 むかし昔、このあたりを治める殿様は、とても欲深な人でした。 この村に、それはそれは親孝行で、気立てのよい「お仙」という娘がいました。 ある年のこと、年貢の干しあわびを領主に出さなければいけない秋になっても、 この話を聞いた村人たちは、あわれなお仙の供養にこの崖の上のちょこっとした平らな土地に石の仏を置いたそうです。 |
|
|
| このように「お仙ころがし」には何通りもの話しがあります。いずれもお仙が崖から落ちて死んでしまう悲劇の物語であることは共通していますが、それ以外はかなり違います。 昔、外房一の難所であったこの場所では、恐らく遭難者も出ていたでしょうし、このような伝説が生まれやすい状況であったと考えられます。 「古・お仙ころがし」は物語の舞台が勝浦であること以外は奈良時代の「手児奈伝説」と非常に似ています。手児奈伝説が勝浦・大沢まで伝わり、この難所と結び付いて新たな伝説になったのではないかと思います。また「異説・お仙ころがし」は「お仙ころがし」をもっと劇的にしたような感があります。「お仙ころがし」は江戸時代頃に年貢に苦しむ領民たちの間で生まれた「古・お仙ころがし」の変形版ではないかと想像します。 「手児奈伝説」→「古・お仙ころがし」→「お仙ころがし」→「異説・お仙ころがし」という順に変化していたのではないかと思いますが、どうでしょうか。手児奈伝説については「房総の歴史ページ」にあります。 (千葉情報館/Minstrel) |