観光ガイド
手児奈霊堂
Tegona Reido

房総の歴史ページも参照して下さい

★手児奈伝説 葛飾・真間に美しい娘・手児奈が住んでいた。毎日、真間の井に水を汲みに来る姿を見かけた村の若者たちは、次々に手児奈に求愛。しかし手児奈は競い合う若者たちの中から一人を選ぶことが出来ず、思い悩んだ末、真間の入江に入水してしまいました。手児奈を偲ぶ歌が『万葉集』に詠まれています。

手児奈霊堂★手児奈霊堂 文亀元年(1510年)、弘法寺の日与上人が御堂跡に手児奈を祀ったと伝えられています。日与が読経の最中に少女が現われ、法華経に救われた恩に報いるためこの寺を守護すると告げます。日与はこれを手児奈の霊とし、堂を建てたそうです。安産・子育ての神として信仰されています。

★弘法寺 手児奈の霊を慰めるために天平9年(737年)に行基により「求法寺」として建立されたとされています。弘仁13年(822年)に弘法大師により七堂伽藍が建立され「弘法寺」となり、建治2年(1276年)、日頂により日蓮宗に改宗されました。日蓮が作ったという大黒天像のある太刀大黒天や、水戸光圀が眺めの良さから名付けた遍覧亭があります。

★亀井院 手児奈霊堂と道を隔てた向かいにあります。寛永12年(1635年)、弘法寺の11世日立上人により建てられ、当初は瓶井坊と呼ばれていました。北原白秋が1か月半暮らしたことでも知られています。

★真間の井 手児奈が水を汲んだという井戸で、亀井院の庭にあります。後にここが真間の井であるとし、真間万葉顕彰碑が建てられています。

★須和田公園 須和田遺跡を公園として整備したものです。弥生時代後期の住居が復元されています。

★弘法寺古墳 弘法寺境内の西の端にある全長43mの前方後円墳。台地の一番外れに位置しているため崩れかかっており、既に3分の1程度は崩落しています。周辺の宅地化により消え行く運命なのかもしれません。

★下総国分寺 聖武天皇の勅命により建立された国分寺の一つです。当時の伽藍は焼失していますが、後の発掘調査により、法隆寺伽藍配置であったことがわかりました。

★下総国分尼寺跡 国分寺よ同じく、聖武天皇の詔により建立されました。昭和8年(1933年)、多くの瓦とともに「尼寺」と墨で書かれた土器が発見され、尼寺跡と判明しました。現在は公園として整備されています。

★いちかわ文学の道 近代文学の作家とその代表作の一部が掲示されている約350mの桜並木です。春には桜のトンネルが真間川まで続きます。永井荷風、幸田露伴、北原白秋等、市川とゆかりの深い作家たちが紹介されています。

Information
最寄駅/京成線国府台駅、JR総武線市川駅
問い合わせ/047-334-1111市川市観光協会

弘法寺

One Point
万葉集の中の手児奈伝説 「真間の手児奈」の話しは、山部赤人や高橋虫麻呂といった万葉の歌人に詠まれ広く知られています。
「われも見つ 人にも告げむ葛飾の 真間の手児名が奥津城処(おくつきどころ)」
山部赤人の歌です。奥津城処とは墓のことで、奥津城処のあった場所には、後に弘法寺の日与上人がお堂を建て、これが現在の手児奈霊堂です。

下総国分寺

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